1月1日
年頭にあたり御皇室の弥栄、国家の繁栄、氏子崇敬者の安寧を祈ります。このお祭りの後、個人又は会社等 の初祈祷が奉仕されます。筑波山山頂では太平洋から昇るご来光を拝む方々が朝早くから登山します。
1月3日
宮中祭祀のひとつで、皇位の起源とその神聖性を祝う儀式です。「皇位の元始」とは、天照大神が孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を高天原から地上の豊葦原中国(日本)に遣わし、国土を治めさせたという神話的由来を指します。神勅(天壌無窮の神勅)に基づき、神武天皇から現代まで続く万世一系の皇統を祝う儀式です。宮中では国家の繁栄と国民の安寧を祈願し、全国の神社でもこれに倣って祭儀が行われます。
1月第2月曜日
人生の節目を祝う儀礼のひとつで、成人(大人)となったことを神に奉告し、今後の成長と社会的責任を誓う場です。例年成人の日の午後二時に執り行っています。無事に成人を迎えたことを神明に報告し、感謝と今後の加護を祈願します。成人祭は、単なる祝賀ではなく「社会的責任の始まり」としての意味を持ちます。午後二時までに受付にて申し込みを行うか、芳名簿への記載をお願いしております。
2月10日・11日
このお祭りは元来旧暦正月14日に追儺式(豆まき)を行っていました。14日は小正月の晦日にあたりその年 初めての満月(十五夜)を迎えます。そこで神社でお祓いを受け心身を清めた年男が福男となり福を与える為、福豆とともに多くの福物を撒き、満々たる月の如く一年の一陽来復・家内安全・身体安全・除災招福・厄除けなどを祈願する祭礼であります。ご奉仕戴く年男は厄年や生まれ年の方に限らず毎年つづけて奉仕いたします。これが他の社寺で行われている節分とは異なるところです。現在は2月10日・11日の二日間にわたり、約600名の年男年女が参加し盛大に斎行されます。
2月17日
五穀豊穣と国家安泰を祈る重要な祭祀で、古代から続く農耕儀礼であり、宮中祭祀のひとつとしても位置づけられています。「祈年」=「年(とし)を祈る」という意味で、農作物の豊かな実りを願う予祝する春祭。
2月23日
天皇陛下の御誕生日を祝う神道儀礼です。古くは「天長節」と呼ばれ、天皇の長寿と国家の平安を祈願する荘厳な儀式として行われてきました。天皇の聖寿(せいじゅ)長久を祈ると共に国全体の平和と幸福を祈ります。「天長」とは、老子の言葉「天長地久(てんちょうちきゅう)」に由来し、天のごとく永遠に続く治世を象徴します。単なる誕生日の祝賀ではなく、天皇と国民の精神的なつながりを確認する儀式で、神道における「まつりごと」の根幹をなす行事であり、天皇の存在が国家の安定と道徳的秩序の象徴であるという思想が色濃く反映されています。
春分の日・秋分の日
彼岸の中日に天皇自ら皇霊殿で歴代の天皇の皇霊を祀られる宮中大祭で、当日は神社で遥拝式が行われます。
4月1日・11月1日
筑波山神社の例大祭で、筑波山最大で重要な祭りです。この祭りは、一般に夏と冬親子の神が山頂の御本殿 と中腹の拝殿で神座が変わるといわれています。実際の祭りの内容は、御本殿の神衣祭(かんみそさい:神様の衣替え)拝殿の奉幣祭(ほうべいさい:幣帛をたてまつる)神幸祭(じんこうさい:山頂神衣祭で撤せられた御神威が満ち満ちた前期の神衣を神輿に納め氏子区域を渡御し、地域の発展と家々の平穏を祈る)の三つのお祭りの総称です。この日に限り、三代将軍家光公奉納の御神橋(県指定文化財)を渡ることができます。元来は冬至と夏至に行われていました。
4月最終土曜日
筑波山神社御垣内に鎮座する、日枝神社・春日神社の例祭です。日枝神社・春日神社およびその拝殿は、社殿が朱色であることから「赤宮」の通称で親しまれ、三代将軍徳川家光公より寄進されたものです。
6月15日
筑波山神社御垣内に鎮座する、厳島神社のお祭りです。この厳島神社も「赤宮」と同じく三代将軍徳川家光公より寄進されたものであり、技芸の神として信仰されている市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)を御祭神としてお祀りしています。
6月30日・12月31日
穢れ(けがれ)や罪を祓い清めるための浄化儀礼で、古代から続く祭祀です。毎年6月30日(夏越の大祓)と12月31日(年越の大祓)に行われ、半年間の罪穢を祓って清浄な心身で次の半年を迎えるための節目とされています。知らず知らずに身についた罪や穢れを祓うことで、心身を清め、個人だけでなく、国家・社会全体の清浄化を目的とする儀礼。神道における「祓(はらえ)」の思想の集大成であり、禊(みそぎ)文化の根幹をなす。大祓詞(おおはらえのことば)を奏上し罪穢の除去と神の加護を願う。又人形(ひとがた)・に息を吹きかけ、身体を撫でて穢れを移し祓う人形神事、茅で作られた輪をくぐることで無病息災を祈願する茅の輪神事等を行う。
8月14日
神葬儀にて祀られた新盆を迎える御神霊を慰霊する祭祀。安らかに祖霊として祀るための儀式。
例年、午前11時より斎行。新盆を迎えた各家の方々にご参列いただき執り行われる。
8月15日
忠魂碑に祀られた戦没者の御霊を慰め、感謝と追悼の意を捧げる祭祀です。戦争によって命を落とした人々の霊を鎮めるとともに、平和への誓いを立てます。忠魂碑は、明治以降の戦争(日清・日露・大東亜戦争など)で戦死した兵士を顕彰するために建てられた記念碑です。現在は、大東亜戦争の終戦の日、午前11時より執り行われます。
8月下旬
知足院開山徳一大士が、延暦元年(782)筑波山下に錫を止め、筑波山神社の二神を仰いで入山。山腹に至り一神童化現して当山の神窟・霊泉を教示した。大士は大同年中 筑波山を結界(一説に弘仁年中弘法大師の結界)して筑波山の東・南・北の三面に190余所の霊場を定め、旧暦5月25日・6月14日・20日を禅定日と定め、有信の徒を入窟させ諸神諸仏の尊容を拝させた。鎌倉時代に入って筑波山法印現われ、修験道その極みに達した。現在も神窟講社によって昔ながらの禅定が行われている。
※禅定の一般参加見合わせについて(令和5年7月20日)
当社禅定について多くのお問い合わせを頂いております。禅定は徳一上人入山以来続く神事として、感染症発生前多くの方に御参加を頂いておりましたが、茲数年、禅定道での目に余る或いは極めて悪質な行為が多発するようになり、現在対応に苦慮しております。禅定参加者には普段の禅定道への立ち入り禁止やSNS等へ曝さぬよう御願いをして参りました。それは神体山たる自然豊かな筑波山の保全や、何より一般登拝者の安全を期して御願いをして参った次第でございますが、時世故か、このような状況となっております。極一部の方の所業でもあり、禅定をどのように斎行していくか議論を重ねておりましたが、茲に至り当年より暫くの間、禅定の一般参加者の参加を中止する事と致しました。「生まれ変わりの行」として参加を心待ちにしておられた皆様には誠に申し訳なく存じますが、何卒趣旨御理解賜りますよう重ねて御願い申し上げます。
11月23日
新穀をお供えし、収穫を神恩に感謝する祭りです。
12月9日
光誉上人(こうよしょうにん)は、江戸時代初期の僧侶で、徳川家康の信任を受けた人物です。慶長15年(1610年)に江戸白銀町に護摩堂を建立し、筑波山信仰の中心的存在だったと云われております。大坂冬の陣・夏の陣では徳川方として参陣し、戦勝祈願と陣中薬「ガマの油」の開発で知られています。筑波山信仰と庶民文化の象徴的存在だと伝わる光誉上人の功績を偲び、その霊を慰めるための祭祀です。例年行われていたガマ祭に合わせて行われていましたが、現在は、亡くなられた日と伝わる12月9日に執り行われています。
12月15日
すすはらい神事(煤払い神事)は、新年を迎えるための準備として、社殿や境内を清める為の神事として行われます。例年12月15日に行われます。「穢れの除去:一年間に積もった「煤(すす)」=穢れを祓い、清浄な空間を整える。神聖な場を清めることで、神との交感を整える意義があります。すすはらい神事は、単なる掃除ではなく「場を清め、神を迎える」ための神事として行われています。
12月31日
御神火祭(ごしんかさい)は、火を神聖なものとして祀る儀式で、火によって穢れを祓い、神の力を象徴する神事です。「火」を中心に据えた浄化と祈願の儀礼です。火は神聖な力を持ち、穢れや災厄を焼き払うとされています。元旦を迎える大晦日の夜半に御焚き上げ場の前にて執り行っています。