茨城県つくば市 神社 筑波山 結婚式 厄除け 祈祷 筑波山神社

茨城県つくば市 筑波山神社

みどころ

文化財

  • 日枝神社・春日神社・拝殿(県指定文化財)

    日枝神社(東殿)御祭神 大山咋神
    春日神社(西殿)御祭神 武甕槌神   経津主神 天兒屋根神 比売神
    本殿 三間社流造(間口二間 奥行二間) 両殿同型 
    拝殿 割拝殿形式(間口六間 奥行二間) 入母屋造 正・背面中央軒唐破風
    寛永10年11月三代将軍家光公の寄進
    延暦の初め、奈良興福寺の高僧徳一大士(恵美押勝の子)が筑波の二神を拝し筑波山知足院中禅寺を開基し、その鎮守社として藤原氏に縁の深い両社を勧請したと伝えられる。
    神仏習合の江戸時代には御座替祭に用いる神輿がこの拝殿に安置され、山下の里宮を兼ねていた。

  • 厳島神社(県指定文化財)

    御祭神 市杵島姫命
    春日造(間口一間半 奥行十尺)
    寛永10年11月(1633)三代将軍家光公寄進
    琵琶湖の竹生島より御分霊を祀る。

  • 御神橋(県指定文化財)

    切妻造小羽葺屋根付(間口一間 奥行四間)
    寛永10年11月(1633)三代将軍家光公寄進
    元禄15年6月(1703)五代将軍綱吉公改修 安土桃山時代の豪壮な遺風が見られる。
    天正18年徳川家康公が江戸城に入城され、筑波山を仰いで江戸城鎮護の霊山と崇められた。
    この御神橋は春秋の御座替祭(4月1日・11月1日)・年越祭2月10日11日)に参拝者の渡橋が許される。

  • 随神門(市指定文化財)

    八脚楼門(間口五間二尺 奥行三間)
    寛永10年11月(1633)三代将軍家光公寄進
    宝暦4年(1757)焼失 再建
    明和4年(1767)再び焼失
    文化8年(1811)再建 県内随一の規模。
    これより神体山である筑波山を望み神社の境内地山頂を含む約370町歩(ha)に及ぶ。往古はこれより遥拝したといわれ、自然と社殿とが一つになり神ながらの荘厳さを感じせしめる霊所である。

  • マルバクス(丸葉楠)標本木(市指定天然記念物)

    マルバクスはクスノキの変種で、葉が著しく丸く、牧野富太郎博士により命名された。
    マルバクスは当神社の他に福岡県太宰府に一本確認されている。
    牧野富太郎博士(1862~1959)
    文久2年 土佐国(現高知県)生まれ
    博士は、世界的植物学者で日本の植物の分類学の父、著書は日本植物誌など百冊に及ぶ。

    上 マルバクス 下 一般のクス

  • ホシザキユキノシタ(市指定天然記念物)

    筑波山の特産
    ユキノシタの品種で、下の二弁も他の三弁と同じように小さく、星形の花をつける。

名所

  • 桜塚

    元来この辺りは桜の木が多く、日本武尊東征のときにその桜木に神々が楽しく遊ぶのをご覧になり影向桜とよばれた。
    また、参詣のときに麓より願をかけて小石を持ってきたので自ずと塚となり、地元の人はいつしか桜塚と呼ぶようになった。

  • 男女川

    「筑波嶺の 峰より落つる男女川 恋ぞつもりて淵となりぬる」
    小倉百人一首の陽成帝の詩をはじめ多くの詩歌に詠われた川で、その流れは桜川へと注ぐ。
    傍らには、筑波山院代亮盛が刻んだ文字がみえる。(明和9年 1772)

    つくばねの嶺より落つる男女の川 ふかき恵のすべらぎの 五十七代を志ろしめ寸 陽成帝の御製にて 世々の歌人よみつづけ 此の名の所むかしより かき集めたる言の葉の は山茂山志げければ 短き筆に及ばれず 仰げば高く二なみに いの字のごとくそばだてる 西はいざなぎ男神山 東はいざなみ女神山 分れし嶺のあいだより 岩おの下をおのずから 出る流れのゆるゝ末は 梺に落ちて渕となり 浪の花よる佐久良川 いたる磯辺の春がすみ この面かの面と志たい来て こころつくばの嶺の川 ここぞと指していつまでも 朽ちぬ志るべに残す石ふみ 明らかに和く
    みつのえたつの春 武原 上生庵   誌焉

  • 御海

    「三海」とも言われ大和(日本)、唐(中国)、天竺(インド)の尊い水の意で、約1200年前名僧徳一大師により発見されたと伝えられ、親鸞上人が餓鬼済度に用いた霊水で、万病に効くといわれている。

  • 常陸山手形

    常陸山(明治7年 水戸生まれ)は第19代横綱。明治42年5月19日筑波山登山記念の手形。

  • 連歌岳

    日本武尊東征の砌、筑波山に登拝し、現在の山梨県酒折宮に至りて
    「にいばり 筑波をすぎて 幾夜か寝つる」と尋ねられ
    御火たきの翁が
    「かかなべて 夜にここのよ 日にはとうかを」
    と応えたことが古事記に記され、これが連歌の始まりで「つくば道」と称する由縁である。

  • 立身石

    元来「鎮座石」という。間宮林蔵(伊奈町生 1775~1844 69歳)が13歳のとき中腹の宿より夜中登山し、この場所で立身出世を祈願した。後に幕府に仕え、樺太が島であることを発見証明した。
    親鸞聖人が建保6年(1218)・嘉禄2年(1226)の二度登山し、この場所で餓鬼済度をしたとされる。このことは、親鸞の曾孫存覚が書いた「親鸞上人伝記」に記されている。

  • 筑波山測候所跡

    明治34年、山階宮菊麿殿下の設立。日本初の高層の気象観測所。

  • 男体山御本殿

    筑波山神社の御本殿で、筑波男大神《伊弉諾尊(イザナギノミコト)》を祀る。
    延喜式に筑波山神社二座とあり筑波男大神は大社。
    4月1日、11月1日の御座替祭には神衣祭が斎行される。
    標高871m

  • 御幸ヶ原

    男体山女体山の間、常に二神が御幸(往来)することから。

  • 横瀬夜雨の碑

    筑波根詩人といわれた横瀬夜雨の第三誌集二八宿お才の一節を自然石(筑波石)に「男女いてさへ 筑波の山に 霧がかかればさびしいもの」と刻した。
    歌碑は1935年昭和10年11月17日に除幕され、筆は日本画家小川芋銭による。

  • ガマ石

    元来「雄龍石」といい、傍らには「雌龍石」もあり、その尾は霞ヶ浦に達するといわれている。
    一般には、永井兵介がこの石の前で「ガマの油」売り口上を考え出したことにより「ガマ石」と呼ぶ。

  • 女体山御本殿

    筑波山神社の御本殿で、筑波女大神《伊弉冊尊(イザナミノミコト)》を祀る。
    延喜式に筑波山神社二座とあり筑波女大神は小社。
    4月1日、11月1日の御座替祭には神衣祭が斎行される。
    標高877m

  • 大仏岩

    大仏のお姿に見え、高さは約15mある。

  • 北斗岩

    天に向かい聳え立つ大きなこの岩は、天空に輝く北斗星(北極星)のように、けして動かない岩の意味。

  • 裏面大黒

    大きな袋を背負った大黒様の後姿に見える。

  • 出船入船

    元来「熊野の鳥居石」といい船玉神を祀る。筑波山の修験者が2つの石の間を通し、紀州熊野を遥拝した。一般には、石の姿が出船と入船が並んでいるようみえることにより現在のように呼ばれている。

  • 母の胎内くぐり

    筑波山禅定(修験の行)の行場の1つで本来は岩の上部の穴より下へ抜ける。
    行を重ねこの岩を抜けることによって母より生れたことと同じ意味を持ち、穢れのない姿に立ち返ることができる。

  • 髙天原

    天照大神を祀る稲村神社があり、髙天原とは「神様の世界」の意味。

  • 弁慶七戻り

    元来「石門」といい、聖界(髙天原)と俗界(現世)を分ける門であるといわれ、大変神聖な場所とされる。
    現在の呼び名は、豪傑の弁慶でさえも、頭上の岩が落ちてくるのではと7度も後ずさりしたことによる。

筑波山地域の主な植物と動物

  • 植物

    ツクバキンモン草(シソ科)、ウスゲサンカクヅル(ブドウ科)、ホシザキユキノシタ(ユキノシタ科)、ヤマナルコユリ(ユリ科)、ツクバヒゴタイ(キク科)、ヤマトグサ(ヤマトグサ科)、フクレミカン(茨城県内では筑波と鹿島地方にミカンができます)、高木、亜高木、椎(しい)、杉(すぎ)、檜(ひのき)、ブナ、樅(もみ)、榊(さかき)、樫(かし)、銀杏(いちょう)、桜(さくら)、楠(くす)拝殿右の丸葉楠は著名な木です。

  • 動物

    トビ、オオタカ、キジ、ヤマドリ、キジバト、カッコウ、ホトトギス、フクロウ、ヒヨドリ、モズ、ウグイス、ヤマガラ、カワラヒワ、カラスなどの鳥類。イノシシ、アナグマ、テン、ムササビ、タヌキ、ノウサギ、コウモリなどの獣類。
    エゾセミ、アブラセミ、更に蝶などは70余種と昆虫類は他に見られないほど豊富といえます。

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